むかしがたり

子守唄

向かいの御薮で 鳴く鳥は ちゅうちゅう ちゅう鳥 忠三郎 忠左衛門か 忠助か 忠三郎の おみやげは さんざし 髪さし もぅろぅた
御藪の陰においたらば ちゅうちゅう 鼠が曳いてった どこから どこまで曳いてった 鎌倉街道の 真ん中に 一泣き 二泣き かんなき桜
郷の御寺の 坊様が あわてて ふところ ねめこんだ 坊様 にっこり にっこりこ おなりの道に おりいった 日吉の猿が 見てござる
金剛杉の すてっぺん きっき きいすけ きい左衛門 田間のお里の 名主の子 歳は十六 いい娘 いやであります 名主の子 納戸のすきまに 置いたなら にゃんにゃん にゃんすけ にゃん左衛門 となりの 三毛に取ぅられた 三毛は 御薮に隠した ちゅうちゅう ちゅう鳥 忠三郎 忠左衛門か 忠助か

※江戸より、唄い継がれていた、子守唄である

〈解説〉 ちゅう ちゅう鳥 雀の事 ちゅんちゅん鳥 別名 忠三郎忠左衛門(雀の小児語)。 忠助 鼠を言う 小児語では 鼠 雀 を ちゅう ちゅう と発言する。 さんざし 山査子と書き、野山にあるバラ科の1mぐらいのとげの有る白い花を咲かせて秋には赤や黄の実を付ける。 髪さし かんざしを言う。 鎌倉街道とは、現有する御成り街道を言う。起点は鎌倉より江戸船橋をえて、千葉より分かれて、木更津方面と東金方面に分岐する。東金を主にして見れば、滝台より松之郷に至る街道を指し、現有する松之郷の、鎌倉街道の断片を見れば一目瞭然である。古地図にも鎌倉街道は東金まで記載されており、鎌倉街道を徳川時代改修して、使用したもので、御成り街道とは田間に、ちょうちんを下げて作られた、求名、白幡に通じる通称御成り道を指す。また余談ではあるが、東金には鶴御成りと言う所あり、御殿より鶴の狩りを行った場所と言う。また俗説には御成り道は、三日三晩で作られたと言われ、いずれも、徳川の威功を、示さんがための作り事である事は、歴史を語る者の初歩であり、後世に、あやまった事は残したくないと思う。一泣き二泣きかんなき桜 一羽鳴き二羽鳴き、かんなき桜 かんなきとは東金の方言にて小児が、大声で泣く様を言う。この節は一羽二羽と多くの雀が、春の交尾でやかましい鳴き声動作を言う。 郷の御寺とは、定かでは無いが、松之郷の御寺と考えられる。松之郷には蛇と坊様の伝説もあり、更に研究する。ここにも御成の道におりるとあり、田間が起点と唄われている。 日吉の猿とは、日吉神社を言う。日吉の猿とは、添神(狛犬等を指す)。 金剛杉の すてっぺん すてっぺんとは、方言で一番高い所の意、金剛杉とは、山武杉の本場である当地方にある、大杉を指すものと考えられる。 きっき きぃすけ きい左衛門とは、猿の事かと思ったが、杉のすてっぺんと、常時見られるもの。またちゅう鳥を考え もず がぴったりだと思う。 納戸のすきまは、納戸の隅を言う。 にゃんにゃん にゃんすけは次に三毛とあり猫を指す言葉(小児語である)ちなみに父の遺稿東金のわらべ唄の中の悪口唄には、やっちゃん やがつく やんざえもん やり子の やっちやくれ やりそこなって やっちゃかやっちゃか とあり子供の頭文字を取って、はやしたてるとあり、古くから使われている、江戸時代の子守唄で松之郷田間に伝授されたものである。

《寄稿》 醍醐野童(禁無断転載)